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江戸前寿司の起源
江戸前寿司とは
江戸前と聞けば、寿司と思いつきますよね。それほど浸透していたのです。
江戸前寿司とは
江戸前寿司はその名の通り、江戸時代に全国に伝わった文化です。現在の東京湾である江戸前の海で穫れた魚介類を、新鮮なまま提供することが可能だったために広く普及しました。
江戸前寿司ではシャリのほかにも、〆鯖などのシメものやガリなどお酢の出番が多く、重要な調味料だと言えます。現在では江戸前すしでも米酢を使う店が多いものの、赤酢にこだわって使う店も存在します。さらにはネタによってそれぞれのシャリを使い分けたり、シャリには米酢、シメものには赤酢を使うお店もあるなど、江戸前寿司と赤酢は切っても切り離せない関係なんですね。
日本の寿司文化は、関東と関西に分かれて独自の発展を遂げました。関東地区、特に東京で盛んになった寿司文化を江戸前寿司と呼びます。
江戸前の語源は?
江戸前寿司の語源には2つの説があります。1つは江戸前寿司には東京湾の新鮮な魚が使われていたという説、もう1つは関東ではウナギは背開き(後ろ)であるのに対し、関西は腹開き(前)であったことからそう呼ばれるようになったという説です。
いずれにしても、江戸前といえば寿司を指すほど、江戸前寿司は風格ある江戸文化の一部となっています。
江戸前寿司発展の背景
1810年江戸時代、花屋輿兵衛が東京墨田区に輿兵衛寿司を開き、そこで初めて握り寿司が売り出されました。もともとは巻き寿司を作っていたのが、相撲見物で買いに来る客の多さに生産が間に合わず握って出すようになったのが始まりといわれています。
街頭販売であったにも関わらず高値で売っていたため、当時から人々の間で寿司は高価なものというイメージがあったようです。また「新鮮なものを美味しいうちに早く」というせっかちな江戸っ子気質も、握り寿司の味や素材の質を上げる要因になったとされています。
現在でも、新鮮なネタの美味しさを生かすよう、握り寿司のシャリは温度と湿度を徹底的に管理されます。他にも握るときの硬さが口の中で最も溶けやすくなるよう注意し、一貫の大きさもネタとのバランスを計算して握るなど、多くの工夫が施されています。
そして、ここで寿司酢は防腐効果のほか、ネタの味をひきしめて米にツヤを与える役割をしています。